ゆるづめ まきこ
大阪府出身・在住
インテリアコーディネーター&収納アドバイザー

母親の強い勧めで保健師になり、堺市役所に15年間勤務。
人生を変える出会い・できごとがあり、好きを仕事にすることを決意。
2000年4月インテリアコーディネーター&収納アドバイザーへ転職。
(詳しくは、コチラの転職物語をご覧下さい)
現在は「暮らし上手工房」を主宰し、
個人住宅やオフィスなどのお片づけ・インテリアの相談&サポートをすると共に、暮らしに役立つ講座の講師も務める。
片づけることで生き方までもが変わるという意識改革型の「お片づけ講座」は定評あり。
2013年古物商許可を取得し、古道具・古着も扱う雑貨カフェを富田林市にて3年間営んだ経験を活かし、年2回「ゆるにこマーケット」を主催。

【有資格】
インテリアコーディネーター・整理収納アドバイザー1級
看護師・保健師・心理カウンセラー

公務員(保健師)からの転職物語♪

★子供の頃から片づけが大好き
小学生時代・・・
片づけが大好きでした。
見た目だけきれいに片づける母のことが子供心に嫌で、
開けるとぐちゃぐちゃな引き出しの中を空き箱で仕分けするなど、家中を片づけていました。
中学生時代・・・
担任の先生が開けた机の引き出しの中があまりにも汚いのを目の当たりにして、
片づけさせてほしいと申し出ました。
今ではありえないことだと思うのですが・・・
当時はすんなり受け入れられ、とても喜ばれました。
全ての引き出しを片づけさせてもらったことは今の仕事の原点かも。

★手に職をと言われ続けた学生時代
中2の頃、両親が離婚し、栄養士をしていた母に引きとられ、
「手に職をもつように」と言われ続け、教師の道をめざすことに。
しかしながら、某教育大学は不合格。
再度教師をを目指して浪人生活を送る中で、
母から、「これからの少子化時代の子供には、
今では考えられないような問題が起こって大変になる。
教師より保健師になりなさい。」
「保健師が講師となる母親教室・健康講座には、
授業を聞かない子がいるような学校とはちがって、
聞きたい人が来るからやりがいがある。」
「これから迎える高齢化社会には引く手あまたの職業で、
就職率も100%に近い」と言われ、
母に従順だった私は逆らうことなく急遽進路変更して保健師に。

★15年間の保健師時代
念願叶い、堺市役所の保健師として採用されました。
保健師の講師の仕事はほんの一部で、
ほとんどは高齢者、障害児・者、虐待児など
様々な人々の生き様に向きあうとても大変な仕事でした。
人生経験未熟な私は心が折れることも多々ありましたが・・・
素晴らしい上司や同僚のもとで仕事へのやりがいを痛感し、
この仕事にのめり込んでいきました。
でも・・・
この奥の深い仕事にのめり込めばのめり込むほど、
自分の無力さや公務員としての限界を感じるようになりました。
そんな私にとって、唯一の息抜きは収納やインテリアを考えたり、
友人たちを招いてホームパーティーでした。
友人たちがいつも褒めてくれる収納やインテリアを
世間はどう思うのだろうか試してみたくて・・・
たまたま手にした雑誌のインテリアコンテストに応募することに。

★人生を変える出会い・できごと
初めて応募したインテリアコンテストでは、収納部門賞を頂き、何と賞金10万円をGET。
その後も次々と雑誌に掲載され、TVにも出演させて頂き、
私の大好きなこと=特技かも、こんなことが仕事にできたら幸せと思いながら、
無理に決まってると諦めている私がいました。
そんな時・・・
夫がたまたま見つけた「自分らしく生きる」というテーマの講演会を聞きに行きました。
まさかこの講演会が、私の人生を大きく変えることになるとは・・・
講演会の講師は、
インテリアコーディーネーターという職業を日本に取り入れた町田ひろ子氏。
周りの反対を押し切って自分の好きを仕事にした町田氏の生き方は、
親に従順に生きてきた私にとって、青天の霹靂でした。
また、その講演会を手伝っているスタッフ(後に町田氏が経営する学校の生徒さんだとわかりましたが・・・)の顔が皆イキイキしているのを見て・・・
私はなんてくすんでいるんだろう、彼女たちのように輝きたいと強く思いました。
ちょうどその頃、
息子の同級生のお母さんが35歳という若さでがんで亡くなりました。
また、仕事で出会った、
退職後に夢を実現しようとしていた矢先に病に倒れて寝たきりになった方や
若くして難病で寝たきりになり夢を断念した方から、
「やりたいと思った時がやり時、後悔しない人生を送るように」
という人生アドバイスを度々受けました。
「今死んだらきっと後悔することだらけ」
「親の敷いたレールではなく、自分の好きを仕事にしたい」
「悔いのない自分らしい人生を送りたい」
沸々と湧き出す思いをもう止めることはできませんでした。
保健師をやめて、好きなことを仕事にしたいと夫に告げると・・・
「1度きりの人生、やりたいようにやったら」とのありがたい言葉。
そして、一言。
「すぐに退職せず、専門の知識を身につけてから辞めたほうがいい」
この一言が、私と夫に地獄の日々をもたらせるとは・・・

★転職に向けての超ハードな2年間
27年前は、今のように収納の専門的な知識を学ぶ場も資格もありませんでしたが、
収納はインテリアの一部でもあるので、その知識を深めると共に
「インテリアコーディーネーター」の資格取得をめざして、
転職のきっかけにもなった町田ひろ子氏が校長を務める専門学校に迷わず入学。
公務員として働きながら、夜間クラスへ。
クラスメイトは、ひと回りほど歳の差があるOLさんばかり。
子持ちの既婚者は、私一人だけ。当時息子は小4、娘は4歳。
週2回の通学でしたが・・・
仕事が終わるとそのまま学校へ行くので、その日の夕食は早朝に作り、
保育所の送迎、子供の食事・お風呂・寝かしつけなどは夫に任せる日々。
しかも・・・
毎回出される課題は、合格点をもらえないとやり直しという厳しさ。
簡単にできるものではなく、学校のない日は課題で全てつぶれるほどでした。
あまりの大変さにクラスメイトの1/3は辞めていきました。
休日も子守りをさせられる夫の負担は大きかったことと思います。
夫にはいくらお礼を言っても言い足りないほど感謝の気持ちでいっぱいです。
一方、私の毎日は睡眠時間が3時間ほどの超ハードな日々。
でも・・・
学校での学びが驚き・感動の連続で、好きなことを学ぶ楽しさを痛感しました。
皆勤賞で2年の学びを終え、2000年インテリアコーディネーター&収納アドバイザーへ転職し、暮らし上手工房を主宰。

★再び学校へ
転職と同時に、また学びたいことが見つかってしまい、
都島工業高校二部の建築科へ途中編入。
溶接・木工作品作りから障子・クロスの張替えなどの実習が、たまらなく楽しく、
あっというまの1年でした。
ここでのクラスメイトは、私より年上ばかり。
77歳の男性の熱心さには感心させられ、
歳を重ねても学ぶ姿勢は持ち続けたいと強く思いました。

★転職してみてわかること
全く違う仕事への転職のため、
保健師としての15年間を無駄な回り道をしたと思っていましたが・・・
収納アドバイザーの仕事は単に部屋を片づけるだけでなく、
片づいた状態を維持するためには、お客様のモノの持ち方(大げさに言うと生き方)を
リセットして頂くためのサポートがとても大切になりますので、
人の生き様と向きあう仕事という意味では、保健師と通じるところが大いにありました。
また、保健師の時に、健康教育などで人前で話すことに慣れていたため、
大勢の前で話す講演会でも、あまり緊張せずに話せる気がします。
また、障害を持つ方からのご依頼があった際も、既に知識を持っているので、
安心していただける対応ができたのではと自負しています。
そして・・・
母の影響もかなり大きかったことを改めて感じました。
母が高校生だった頃、
姉から「これからの女性は手に職を持つべき」と当時普及していない栄養士を強く勧められ、嫌々ながらも栄養士の道に。
離婚後はこの資格のおかげで私たちを養えましたが・・・
どうしても好きになれない仕事だったらしく、49歳で訪れた人生の転機に、
中学生の頃から大好きだった骨董の道に進み、古物商として全国の骨董市へ。
そんな母の口癖は「いつ死んでもいいほど幸せ」。
子供の頃の夢は叶うということを、母は身を持って教えてくれたのだと
転職してみてわかりました。